2007年12月25日
最近お気に入りの1冊
私は普段よく本を読んだりしない。
しかし、本は好きである。
本を買うというのはとても好きな行為で、買った本はしばらくはどこでも持ち歩く。
しかし、最後まで読みきるかは別問題である。
少し読んだだけで本棚にしまい込んで何年もほったらかしにすることもしょっちゅう。
そしてまたある日、本棚にあるその本を見つける。
そして読みたくなる。
読みたくなった時が読む時なのだ。
そんな1冊が、横尾忠則薯の、「ARTのパワースポット」だ。

この本は横尾氏が1970年代から1990年代前半までに書いたアート・エッセイである。
ありとあらゆるジャンルのアートについてその当時の思いを書き綴っている。
私がこの本を買った当時は私自身が精神的に未熟すぎたこともあって、全く心に残らず、
一部読んだだけでしまいこんでしまった。
最近になってこの本を読み返してみて、この人の考え方がとても理解できるようになった。
これはかなり過去のエッセイも含まれているから、今彼はもっと精神的に高いところまで
登りつめているのだろう。
私は彼のようにアートを突き詰めることはできないし、アートの才能もない。
精神は高いところに行きたいのだけど、作るものが追いつかず、幼稚だ。
同じ位置で前に行けずに地団駄踏んでる感じ。
それでも、とてつもなく前を走っている人の話を聞いたり知ったりするとすごくうれしい。
高僧の説法のようである。
陶芸家たちも良く集まっていろんな話をする。
年代も上で、それぞれ活躍している人達の話の場にいることもしばしばあるけれど、
私はその中に入れず、ただ耳をダンボにして聞いている。
だんなはいつもそういう席で楽しくわいわいやっている。
わたしもいい加減慣れたけど、昔は苦手だった。
昔より少しだけ大人になった気がする。
しかし、本は好きである。
本を買うというのはとても好きな行為で、買った本はしばらくはどこでも持ち歩く。
しかし、最後まで読みきるかは別問題である。
少し読んだだけで本棚にしまい込んで何年もほったらかしにすることもしょっちゅう。
そしてまたある日、本棚にあるその本を見つける。
そして読みたくなる。
読みたくなった時が読む時なのだ。
そんな1冊が、横尾忠則薯の、「ARTのパワースポット」だ。

この本は横尾氏が1970年代から1990年代前半までに書いたアート・エッセイである。
ありとあらゆるジャンルのアートについてその当時の思いを書き綴っている。
私がこの本を買った当時は私自身が精神的に未熟すぎたこともあって、全く心に残らず、
一部読んだだけでしまいこんでしまった。
最近になってこの本を読み返してみて、この人の考え方がとても理解できるようになった。
これはかなり過去のエッセイも含まれているから、今彼はもっと精神的に高いところまで
登りつめているのだろう。
私は彼のようにアートを突き詰めることはできないし、アートの才能もない。
精神は高いところに行きたいのだけど、作るものが追いつかず、幼稚だ。
同じ位置で前に行けずに地団駄踏んでる感じ。
それでも、とてつもなく前を走っている人の話を聞いたり知ったりするとすごくうれしい。
高僧の説法のようである。
陶芸家たちも良く集まっていろんな話をする。
年代も上で、それぞれ活躍している人達の話の場にいることもしばしばあるけれど、
私はその中に入れず、ただ耳をダンボにして聞いている。
だんなはいつもそういう席で楽しくわいわいやっている。
わたしもいい加減慣れたけど、昔は苦手だった。
昔より少しだけ大人になった気がする。
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